新年の最初のセミナが今日だった。前日から資料を用意したり、お年賀の福袋を作ったりと久しぶりに忙しかった。外資系企業に勤めていたときは、その忙しさが通年だったので、いつも週末にはくたくたになっていた。
今は、自分の好きなことを仕事にしているので、疲れも癒される。近世畸人伝に出てくる人物は、みな一癖あって、愛すべき人々なのだが、本日の遊女某尼も変わっている。父が役を解かれ、病になり、それを救うために京都島原の遊女になるが、馴染みの富める男に引かされて、暮らし始める。それを知った男の母親が、意見をするために呼び出すと、髪を切って尼になっていた。もともと両親の供養もあって仏道に入りたいと思っていた、という。
隠し妻とか、色めいたことよりも、京都大原に住まいして、仏行に励んでいると、病になった。医師の診断を拒むので、こまったその男の母が、昔の遊女仲間の大橋を探して、意見してくれるように頼む。すると、某尼は、大橋にこう語る。仏門に入ったとはいえ、わずか20歳の身なので、いつ気が変わるかもしれない。そうなる前に死ねれば本望だから、このまま放っておいてください。その後まもなく、某尼は亡くなるが、最後まで乱れることはなかったという。
そういう変わり者というか、信念のある女たちもいたのだ。江戸時代のことは、一部しか知らないが,もっと学んでみたくなる。