4/5から池田満寿夫展@千葉市美術館
千葉市に住んでいて、よかったと思うのは、美術館が空いていること。平日の午後ならゆっくりと鑑賞できる。池田満寿夫展、開催するのを竹橋で知った。千葉市の市政だよりには明日掲載されるのだろうか。 4/5 土曜日から 5/18 日曜日まで。

今回は、4/19に佐藤陽子さんのトーク&ミニコンサートが予定されている。抽選で150名だが、あのホールは昔の建物を使っていて、とても音響がいいのだ。生の音楽が聞けたらうれしい。
千葉市に住んでいて、よかったと思うのは、美術館が空いていること。平日の午後ならゆっくりと鑑賞できる。池田満寿夫展、開催するのを竹橋で知った。千葉市の市政だよりには明日掲載されるのだろうか。 4/5 土曜日から 5/18 日曜日まで。

今回は、4/19に佐藤陽子さんのトーク&ミニコンサートが予定されている。抽選で150名だが、あのホールは昔の建物を使っていて、とても音響がいいのだ。生の音楽が聞けたらうれしい。
4年制卒で、優秀な成績を修めても、会社に入ればただの新人。まず、このギャップに慣れましょう。会社というのは、利潤を追求する場で、その会社独特の文化があります。
たとえば、女性だけ8時半に出社して、机を拭くとか、10時と15時にお茶を入れ、お菓子買出し当番があるとか。ベンチャーで社長がワンマンだと、秘書がワイシャツや靴下を買いに行き、出張準備するとか、勤務中に煙草を買いにいかされるとか、こういうのも給料の一部だと思ってください。
最初から企画やマーケティングの部署に入れる人は少ない。たいていはアシスタントから始まります。面倒見のよい上司なら、予めやるべき仕事を用意してくれていますが、稀に、コピーやシュッレッダー、あるいは、営業に同行のOJT(on the job training)と、場当たり的な対応をされるかもしれません。それでもめげてはだめですよ。会社の面白さはある程度の権限がもらえるようになってから。それまでの数年間は、ソフトクリームの皮を舐めているようなもので、美味しいクリームまで到達しません。
女性の派閥に巻き込まれないように、サンドイッチや、おにぎりなど手製のお弁当を持参しましょう。情報交換にならない、ランチタイムならうまくかわすことです。男性上司に誘われたときも、一人だけなら、【母の具合が悪いので、早く帰って面倒をみてあげたいので】と断りましょう。男性に仕事上のことでも親切にすると、誤解されることもあるので注意してください。
いろいろと書いていますが、知っていて出会うことと、知らずにぶつかることでは衝撃の大きさが違います。キャリアを積んで早く自分の力が発揮できる仕事ができるように、祈っております。
昨年、イタリア文化会館で行なわれた女性とキャリアセミナで、興味深い話題がいくつか提供されていた。それによると、1970年代は四年生卒の女性は6.8%しかいなかった。この頃、女性は短大で十分という考えがあって、大手企業でも四年制より、短大卒が重用されたりした。
そして今、女性のキャリアが長く、そして役職などにもつくようになり、内閣府の資料によれば、四年制卒の女性の割合は2002年には、33.8%に、一方短大は14.7%と減少傾向にある。また大学院への進学率も年々上昇し,平成14年度では女性6.4%,男性13.2%となっている。
つまり、30年以上前の大卒はいまの大学院なみの比率だったのだ。それだけにキャリアを積むためには、相当な努力と苦労を続けたことが想像できる。コンビニも24時間営業の店も、デパ地下も、食洗機もなかったときに、子どもを育てながら、仕事を続けた女性たちがいた。
そして、今の時代、女性が働くことは特別なことでも、稀なことでもなくなっている。先輩たちのロールモデルを探そうとすると、立派すぎて、とても真似はできないと思ってしまうのだ。今なら、夫の協力も得られる。こういう時代のやり方があるはずなのだ。家事についても代行サービスもあるし、食材や洗濯の工夫もできる。夫婦と子どもの愉しみかたもあるはず。
そんなことをうまくまとめて、ご紹介できたらと思っている。女でも仕事は愉しいことをひとりでも多くの方に知ってもらいたい。
日本橋三越本店で開催されている假屋崎さんの記念展の招待券をいただいた。それだけではもったいないような気がして、竹橋に集合する。ここからあるいて8分、近代美術館工芸館で、所蔵作品展の「花と人形」をみることにした。10:00-17:00 (入館は閉館30分前まで)
月曜日休館(ただし3月31日、4月28日、5月5日は除く)
予想したとおり、昨日からの春の陽気がお堀端の桜が咲き始めた。今年初めてのお花見である。水に浮かぶ桜の木はさらに美しさが増す。しだれ桜の前では大勢の人がカメラを向けていた。みんないっせいにブログを更新したら愉しいだろうな。
工芸館は、思ったより充実した作品が並んでいる。花にちなんだ展示がすてきだ。こういう時間の過ごし方を忘れていた。旅先なら必ず美術館や博物館に立ち寄るのに、都心にいて、意識しないと目が向かない。美術品の数々を見た後は、人形町に出て、ランチタイム。この後、歩いて三越まで行く。人形町からだと15分くらい。こちらもあちこちで桜が咲いていた、今週末は満開のはずだ。
三越で假屋崎さんの作品を見て、遊び心の愉しさを味わう。コレドでコーヒーブレイク。この辺りは定番になっている。そして、メゾンカイザーでクロワッサンとバゲットを買って解散。花尽くしの一日の終わりはやはり、花より団子になっていた。
昨年の11月から週一で通っていた着付け教室。本日、すべての課程が終了して、先生を囲んでランチとなった。正確にいえば、すでに初級は終っているのだが、補講を二回していただいている。そして、成果発表の日が来週、別に予定されているのだ。
着物は自分で着ることはできないと、諦めていたのが、すばらしい講師の先生と出会って、毎回、なんとかついてこられた。名古屋帯と二重太鼓ができれば、オシャレ着として着物で外出できる。その上の、留袖、喪服などもあるが、こちらは美容師さんにお願いするつもりだ。
わが家にある躾け付の在庫もこれで、陽の目をみることになるだろう。何にも増してうれしいのは、日本の伝統文化を学ぶことで、歌舞伎や日本舞踊、書道、茶道、華道などの本質のようなものが見えてきたこと。そして、江戸の暮らしの一端にも触れることができたことである。
今日は最後なので、特に二重太鼓も三回も実習した。三回やれば、身に付くのだ。これからは着物でお出かけを第一に考えて、一日も早く自然な着方をしたいと思っている。先生、相方のみなさま、ありがとうございました。
採用するときよりも、解雇するときのほうが何倍も気を使う。相手を喜ばせるのは簡単だが、反対の場合はどうしたらいいのか。
今の時代、いいにくいことを話さなければならないシチュエーションはたくさんあるような気がする。忘備録としてまとめてみよう。
外資系に20年以上いると、こういう状況にはお互いに慣れてしまう。呑み込みの良い人だと、いまの時点での最良の条件を聞いて来ることもある。たとえば、こうだ。
こういう条件を組み合わせて、退職プログラムを共に考えることで、恨みとか、悪意の感情は消えている。ビジネスライクな米国流もいいかな、と思う時である。
そして、どんな人とも喧嘩せずに別れることができると、その人の評価が上がる仕組みになっているのだ。
努力や練習や、辛抱ができないので、なるべく頑張らずに暮らしたいと思っている。相手から奪うことなく、あるものに満足して、それなりに幸せであればいいのではと思うこともある。
ただし、清貧ではだめなのだ。だれかを助けたり、何かに参加したり、旅をしたりするのに、ある程度の豊かさは必要。
そんなことを考えながら、背筋を正して暮らす日々を続けている。三年半通い続けているお料理教室で習った、お芋の扱い。ジャガイモを洗ったら、1個づつラップでふろしき包みにする。そのまま電子レンジで4、5分加熱。これだと、皮と実の部分に含まれている栄養素も取れるし、味わいが違う。いい加減に包むのではなく、きっちりと包むと笛のような音が出る。着物を着て外出するのも同じようなことだ。
昔から、華道、茶道、書道とか、それぞれの道の師匠について、背筋を正す訓練をしてきた。そうしないと、人は安逸な方へずるずると流れてしまうような気がする。道を導いてくれる師匠がいないなら、せめて自分だけでも背筋を伸ばそう。
だれも見ていないからといって、不様なことはしないほうがいい。見えないからとふんぞり返って電話応対するひともいないはず。自分と向き合って、正義が行なわれているかを確認しながら暮らしていれば、怖いものはないのだ。
飛行機が離陸するように、空に飛び立つことを考える。空を自由に飛ぶことは、人類の夢だった。宇宙のはてをのぞいてみたい気もする。そこは光があるのだろうか。
今、自分の中で何かが始まろうとしていて、そのためには手放すものもあるし、変わる必要もある。海外旅行のために荷物をパックしているようなものだ。今とても愛用していても、大きさや活躍場面の違いで、家に残すモノもある。今となっては、フィガロに連続で4日間通ったこともなにかのサインのような気がしている。
同じことを体験しても、なにも受取れない人もいるし、その人の持つ問題意識の深さだろう。執着や競争心からは何もうまれないのはわかっている。それでは、何が正しいのか。自分を信じることなのか、自分を愛することなのか、そうやって自我意識を持つことはよいことなのか。
答えが見つからないときは、時間を味方にする。ある日、悟るのだ。
何年かぶりで風邪を引く。発熱はそれほどではないが、身体がだるい。この感覚を忘れていた。
取りあえず、急ぎ仕事を済ませ、休むことにした。好きな本を枕元に並べて読み始めるが、頭の中に霧がかかったようなところがあり、半分もわからない。世の中の人は週末の仕事をこなしているだろうと、ぼんやりと思いながら、自分自身について考えてみた。
これから先、何ができるのか、何がしたいのか、どこに行きたいのか、そんなことをとりとめもなく考えてみる。この二年くらいで、様々なことが変わっていった。昔、毎日のように発言していたSNSも今は閑散としているし、エネルギーの力点が移動しているのだ。
変わることは、よいことだと思う。同じところに留まっていてはできないことも多いはず。変わることで受ける環境に変化に対応できないと、先に進めない。どこでもただ一人、初めての存在である、と認識できれば怖くないのだ。一人で決めて、責任を取ることを覚悟していれば、なんでもできる。
このように家の中に籠って、考えること以外にすることがないとき、自分について考えてみる。そういう時間を、定期的に取ろうと思った。
今日はお彼岸の中日、早起きして、恒例のお墓参りにでかけた。この日が雨だというのも珍しい。八街、小堤、多部田、千葉寺とあちこち回ってくる。雨のおかげで、どこも思いの外空いていた。平和公園には新しく南正門もできていて、渋滞を避けることができた。お線香をあげ、先祖の墓に手を合わせると、気持ちが落ち着く。
今日は、春分の日。本来ならこの日を境に、日が長くなり、春の暖かさを感じることができるのだが、冷たい一日だった。季節の変わり目は、お寿司を作って体調を整える。春の献立は、春菊とイカを載せたちぢみ。鮭の寿司ご飯には、胡麻を煎って、すり下ろしたものと、ショウガの千切りをのせていただく。コンニャクと、高野豆腐と昆布の炊いた物。デザートは、甘栗だ。
永遠に続くことはないのだ、と分かっていても、別れはとても切ない。今日、二年近く通ったスポーツクラブに退会届を出した。4月からお気に入りの先生がいなくなり、そうすると通う理由がなくなる。
3月は別れ時だ。卒業式で、新しく始まる未来が輝いている人は、別れよりもスタートが楽しみだろう。本来はそうやって、未来にかけて来たのだ。別れをプラスに変えないと、前に進めない。
別れとほぼ同時に出会いが待っている。こちらも予想できないだけ、いつも驚かされる。世の中は、そう悪くないのだ。
昼間の古文書講座には通えないので、夜はやらないのですか、という声が結構多かった。経験者によると、退職してから新しいことを始めてもだめで、助走期間として、二三年前から準備が必要らしい。
というわけで、4月から夜間コース【近世畸人伝(きじんでん)を読む】 19時から21時 も開催する。江戸の人々の暮らしを知り、ついでにくずし字も読めるようになれるという贅沢な講座だ。他ではできない価値あるサービスをと、心を配っている。
他にも五代目團十郎が作った「小倉百人一首」のパロディ句集、『小倉百句』を読むというコースもある。こちらは歌舞伎が専門の講師の先生が企画してくれたので、中身の濃さも違う。成田屋さんのサイトでもご紹介いただいた。参加された方が満足されるよう、みんなを巻き込んで頑張っている。
言霊というのは、言葉の中に宿る霊的な力。万葉の時代、人々はもっと、自然や人の力を畏れていた。口に出すことは、実現するかもしれない、言葉になったときから、霊的な力が働くのだ。
そして現代、言霊信仰は続いているのだろうか。会いたいと強く念じ、言葉にも出している人とは再会できる。今日もそんなことを感じた一日だった。そういう人は、いつでも、どこでも会うことのできる人なのだ。この一月くらいで新しく知合った人々の才能や、知識や、生き方に、驚くことが多い。
なぜ出会ったのか、ずっと言葉に出して願っていたからだろうか。去年の今頃とは、別な人生が用意されている。それも自分が望んだこと。そして、変化を楽しく受け入れるか、抵抗するかでまた、別の生活が始まる。変わること、別れることを怖れてはいけないのだ。
願っていると必ず、叶うものだ。今年はパリに行こうと決めた。ミラノ、フィレンツェ、そしてベネチア、パリ。ローマの代わりにパリを歩こう。
江戸から学ぶ会を六本木ヒルズで主宰しているが、本日の講演は、【鬼兵犯科帳の長谷川平蔵について】だった。講師の西尾さんのお話を聞いていると、平蔵というのは、人を束ねること、人によい仕事をさせることに優れた才能を発揮している。いわば有能な管理職というわけだ。
部下がしくじっても、「お前ほどの人間が失敗するのだから、だれがやってもできないよ」とやさしく慰め、「だが、次は失敗は許されないぞ」と励ます。この方のために、何ができるだろうか、と自然と部下が心配りするのである。
池波正太郎さんの書かれた『鬼兵犯科帳』はさまざまな読み方ができるが、でれきれば現役時代に読んで、部下の掌握に役立てたらよいとの、講師からのアドバイスがあった。
今考えても正気の沙汰ではないのだが、オペラのチケットというのはかなり前に発売される。そこで、気軽な気持ちで3/13から3/16までの4日間、新国立劇場オペラ研修所の卒業公演を見ようと決めた。
実際に公演日が近づいてくると、4日間、オペラに付き合うというのは、自分の時間、打ち合わせの時間、考える時間をすべてやり繰りしなればできないことに気づく。出かけてしまえば楽しいのだ、そこに行くまでに片付けなければならないことが山ほどあった。
公演の内容はすばらしい。今年は新国立劇場10周年とかで、かなり予算も使っている。豪華で古典的な扮装で安心して見ていられる。若手オペラ歌手の、真面目で、愉快で華やかな舞台を見ていると、日本のオペラ界も水準が上がったなあとしみじみ思う。海外公演ばかりが取り上げられるが、日本人の歌手もすばらしい。こういう公演が一月に半分くらいできるといいのだが。
三年間、応援して来た人たちが卒業するのはちょっぴり寂しい。また、会う機会があるのだろうか。もう一つの卒業式なのだ。
昨年の10月から毎週、古文書整理実習を行なっているが、その舞台となる上総国山辺郡小山村に本日出かけてきた。市の緑化植物園が実施する課外講座の1つで、自然観察会があったのだ。聞けば倍率二倍だったそうだ。さすがにみなさま、野草の種類に詳しい。
JR土気駅に集合して、バスであすみの南、板倉町で降りる。そこから、板倉城趾後をみて、小山町まで一本道を歩いた。江戸の地図でみると、山が迫っていて、農地はほんのわずか。今は東急の分譲地と、昭和の森に囲まれて、ひっそりと佇んでいる。
与惣右衛門さんの家もしっかりあった。今も子孫の方が住まいされている。この辺りは谷津田なので、自然がそのまま残っている。歩いているうちに、文書で習った土地争いや、養子縁組の話や、長生きした父親や扶持米をお願いするくだりなどが浮かんでくる。どの家も立派で昔ながらの農家の造りだ。倉もあって、その中には文書もまだまだあるのではないか、と想像してみる。
昭和の森の梅林は、今が満開。枝垂れ梅もあって、思いがけない出会いに嬉しくなる。花を見ているだけで、心が和むのだ。展望台からは、残念ながら霞んでいて大網海岸は見えなかったが、菖蒲の群生地などを教わり、別の機会にぜひ出かけたいと思った。
FOODEX JAPAN 2008 が本日から始まった。アジア最大級の食品・飲料専門展示会である。広い会場は、一日かがりで回るしかないが、知合いのブースがあるとほっとする。イタリアブースでは、毎年、フィレンツェから知人の会社が出展していて、立ち寄ることにしている。
イタリアコーナーで、ガス入りの水を飲み、ニョッキや、チーズを食し、ワインを飲み、そして締めくくりはエスプレッソ。これだけで、イタリアを旅している気分になれる。お薦めは海外ブースからスタートすること。やはり、こちらの方が空いているので、ゆっくりと商談もできるし、試食もできる。各ブースでは、セミナも同時開催しているので、チェックが必要。
どこでも潤沢に食材があるので、試食するのも制限付がいいと思う。今年は、北海道のブースでサンプル送付をお願いした。生産者と直に話ができる貴重な機会だと思う。
ライブラリーの会員なのに、最近はセミナ参加ばかりで、ここでゆっくりと本を読んだことがなかった。そんな反省の意味も含めて、本日は打ち合わせの合間の数時間をライブラリーで過ごす。
49階の眺めは霧に包まれて異国風。時計を見ながら、二時間程度で読めそうな本を探す。10分で一冊の本が読める速読法があるが、本は重みに耐えながら、ページを捲るのが好き。
ソファーに座りながら、本を読んでいると、国際線の待合室にいるような錯覚を覚える。これからどこに行こうとしているのか。
好きなだけ本を読むという日を作ろう。しみじみとそう思った一日だった。ちなみに本日読んだ本の評価は低い。
気持ちの中に何か停止していたものがあって、ふとしたきっかけでそれがまた動き出す。昨日までしゃべることのできなかった子どもが、『まあま』と叫んだり、鉄棒の駆け上がりができたり、自転車に乗れるようになったり。子どもの日々はそんなことの連続だったはず。
成長して、大人になったら、そういう楽しい経験がないだろうか。昨日まで名前も知らなかった人と恋愛したり、難問の資格試験に合格したり、外国人に道をおしえてあげたり、美味しいパスタがつくれるようになったり。
昨日までは不確実なことが、今日から本当になる。そんなときは、素直にお祝いしよう。どんな小さなことでもいいから、自分を誉めてあげよう。すると、次にはもっと大きなことができるようになる。
これまでの人生で、かなり恵まれた環境にあるにも関わらず、学生時代、ろくに勉強もせず、有り余る時間の中で、空虚だとか、退屈だとかいいながら過ごしていた。あのときは、わからなかったのだ。退屈なのは何も努力しないから、努力が嫌いでも好きなことに打ち込めばいいということを。それは、人との比較ではなく、自分が好きだと信じていることを進めばいいのだ。それに気づくまで、ずいぶんと回り道してきたと思う。
今は、まわりに感謝しながら暮らしているので、退屈することはない。ときどきは落ち込むが、すぐに立ち直る。やりたいことがはっきりしているから、そして、何をしたらいいのかもわかっているから。
いつ会っても明るく元気な人と、口をとがらせて、愚痴ばかりいう人がいる。楽しくお金持ちになって過ごす人と、苦労して貧乏な生活を送る人がいる。
この違いは何。格差とか、競争社会とか、いうけれど、日々のほんのわずかな積み重ねが、今のあなたを作っているような気がする。仕事も同じだ。昔から、忙しい人に重要な仕事は頼めという。なぜ、暇な人に任せないのか。それは納期と品質が忙しい人ほど、早くて優れているから。そうやって仕事をこなしているから、時間の使い方、仕事配分がうまいから、無理しないでも結果が出てくる。
最初はほんの少しの差も、それが日々積み重ねられることで一年、二年と経つうちに大きな違いになってくる。毎日30分勉強しろとか、一日一善というのも、そういう意味で正しい。
勤勉で努力家の日本人DNAをお持ちのあなたなら、日々の改善、努力、勉強が大きな実りになるだろう。継続することができれば。
ここがいちばんの問題なのだ。続けていれば、ダイエットも資格取得の試験も、語学学習も成功する。だとしたら、三日坊主で終らないためにはどうしたらいいのか。
ゴムを引っ張ったら、いずれ切れるように、オンオフの切り替えが必要。一週間のうち、五日間頑張ったら、週末の二日間は特別プログラムを組もう。わたしはそれを非日常と読んでいる。ふだんできないことをやるというよりは、日常業務を停止して、別のことを考える時間を持つ。
時間だけが万人に共通に与えられた基盤だから。そして、週末は自分がどんな夢を描いているのか、何になりたいのか、何をしたいのかを真面目に考えて、紙に書き出そう。PCに打ち込んでもいい。ぼんやりした夢が、枠組みや色分けなどができて、一枚の絵が完成するまで、没頭したらいいと思う。
夢ができたら、親しい友だちに語ろう。それは実現に向けての第一歩である。友だちなら、きっと励ましたり、自分のことのようによろこんでくれるはず。それを頭の中に記憶させよう。あなたの夢はだれかを幸せできるのだ。これはすばらしいこと。
週末は、何もしなくてもいい。あなたのやる気や元気を蓄えておく大切な時間だ。諦めないで、自分を信じて、そして、来週から始まる一週間を心待ちしよう。
石の上にも三年という言葉があるが、平成の今、三ヶ月というのが一つの単位だと思っていいだろう。
三ヶ月というのは13週間、90日余り、これだけの時間があれば、かなりのことができるのだ。テレビドラマも1クール(3ヶ月)を一つの単位にしている。では、どんなことができるのか、実際に例をあげてみよう
こうやって書いていくと、なんでもできそうな気がする。
仕事編
一年を三ヶ月単位で考えると、4つのことができる。これはすばらしい。時間がないとか、忙しいからと、何もしないのはもったいない。好きなことから始めて三ヶ月頑張ってみよう。知らないうちに、可能性を狭めないように、何でも挑戦してみたい。
タイトルだけではよく分からないが、ワイン談義が聞きたくて、六本木に駆けつける。Dr.スー・ファー・ニュートンは、すばらしく知的でイギリス流のユーモアセンスを備えている。
セミナールームにはワイングラスが並び、気品あふれるワインの香りに満ちていた。こういう非日常の演出もすてき。ワインを口に含み、お話を聞く。彼女が医師から、ワインメーカーになったストーリーに、人生は可能性に満ちていることを思い出せてくれた。
いただいたワインは三種類、どれも美味しい。自然のもつ味わいにあふれている。最後に出たThe Buzzle はこのメーカを代表するもの。私のよく知っているイタリアワインの複雑で濃厚な味わいだ。これがアメリカで作られていることを思うと、嬉しくなった。
Newton Vineyard 2005 Unfiltered Cabernet Sauvignon
Newton Vineyard 2002 Unfiltered Merlot
Newton Vineyard 2002 The Puzzle
美味しい、味わいの深い、そしてエレガントなワインは、それだけで華やかな場を演出する。セミナ終了後も歓談する人が多く、なかなか帰らない。これもこれまでのセミナと較べて驚くべきことであった。
以下、セミナの忘備録。 (more…)
山梨の豪農、五味蟹守の東海道の旅はようやく名古屋まで来た。新幹線というよりは、各駅停車の旅だが、とても楽しい。講座を受けるということは、共に学び合うこと。仮名文字が少し読めるようになると、奥の細道のさわりの部分にも挑戦してみて、なんとか読める。
古典の講座は数あるが、文学作品や旅日記を原文書で読む試みは、珍しいことなのだろう。人がやらないことを先にやるのはわくわくする。少しづつではあるが、読める文字が増えて来るのは頼もしい。
今年の二月は閏年なので、油断していたら、三月が始まっていた。
三月は年末とはまた違った慌ただしさがある。学校や組織や会社の移動や転勤があったり、卒業や進学があったりと、不変に見えたものが音もなく消えてしまう。
はかなさとは違う、もっと意志の力が働いているモノがある。この変化を価値あるものと受け止めよう。変わることを恐れては何も始まらない。何もしないよりは、一歩でも進んだ方が楽しい。
努力とか、頑張るとか、根気とか、忍耐とか、そういうものすべてが苦手だが、人との別れがいちばん辛い。それは、何か始まる予感なのだろうか。人に出会ったり、友情を確かめたり、尊敬したり、愛したり、やらなければならないことがたくさんあるのに、ふだんは忘れている。
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